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〜宇治の町と私〜
私が生まれたのは京都市内だったと聞いていますが、ものごころついた頃には、父の実家のある宇治に住んでいました。
小学生の頃の宇治は人口3万人位で宇治橋通り商店街が唯一の繁華街で小倉、大久保、宇治田原などから人が集まったものです。
町役場、地方事務所、銀行(当時は三和銀行)、郵便局、お茶屋さん、いろいろな商店、医療機関が並んでいました。
日本レーヨン(現ユニチカ)華やかなりし頃で大勢の社員さんが闊歩されていました。今はすっかり様変わりして賑やかさは六地蔵、大久保、そして周辺の住宅地域に移っています。
私の祖父はお茶の生産に携わり、父は長男ながらも医師となり、復員後(昭和22年頃)。耳鼻科医であった母とともに、宇治で開業しました。私は2代目です。私はずっと宇治に住んでいる井の中の蛙ですが、山と川のある美しい宇治が好きです。
院長 服部 宏 談
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